清凉寺の仁王門をくぐると、伸びやかに広がる境内の正面に京都府指定文化財の本堂が建っています。桃山建築の名残を留める美しい本堂は間口が14間、奥行が13間の単層入母屋造本瓦葺で、今に見られる本堂は幾度かの消失を繰り返した後の元禄14年(1701)に再建されたものです。
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永延(えいえん)元年(987)に「年(ちょうねん、奈良東大寺の僧)が宋より持ち帰ったといわれる清涼寺本尊の釈迦如来像は、高さが1.6メートルもあり、釈迦37才の等身大を刻んだ木彫立像で、美しく流れる波状の模様が彫られた衣をまとっています。目には黒水晶、耳にも水晶がはめ込まれ、縄状の頭髪のやさしいお顔で立っていられます。インド、宋、日本と三国伝来で日本に渡らされたこのお釈迦さまは清凉寺様式と呼ばれ、鎌倉時代にはこの様式の多くのお釈迦様が造られました。京都では槙尾西明寺の重要文化材の木造釈迦如来立像や、二条大橋西の善導寺の石像等が清涼寺本尊の釈迦如来像を模したものとして知られています。清凉寺本尊の釈迦如来は日本三如来の一つに数えられています。
昭和28年(1953)に施行された学術調査で、この釈迦像の胎内に絹で作った五臓六腑の模型が封入されていることが確認されました。これは中国の尼僧によって入れられたもので、春と秋に特別公開される霊宝館で見ることができます。