源氏物語ゆかりの地 平安宮内裏跡 説明パネルの写真
延暦一三年(七九四)の平安遷都とともに造営された内裏は、天皇や后たちの居住空間で平安宮(大内裏)の中心的な施設。その構造は、陽明文庫(ようめいぶんこ)蔵の「内裏図」などによると、外郭築地(がいかくついじ)と内郭廻廊(ないかくかいろう)の二重構造で厳重に区画され、内郭が東西五七丈(約一七一m)、南北七二丈(約二一六m)、外郭築地は東西七三丈(約二一九m)、南北一〇〇丈(約三〇〇m)の規模であった。
内郭の南辺には紫宸殿(ししんでん)・仁寿殿(じじゅうでん)・承香殿(じょうきょうでん)・清涼殿(せいりょうでん)などハレの場があり、北辺には弘徽殿(こきでん)・飛香舎(ひぎょうしゃ)(藤壺)・淑景舎(しげいしゃ)(桐壺)といった七殿五舎からなる後宮が存在し、それぞれの建物は廻廊や透渡廊(すきわたろう)で繋がり、雅な宮廷生活が繰り広げられ、『源氏物語』の中心舞台であった。
初焼亡は村上天皇の天徳四年(九六〇)であるが、里内裏が用いられたのは一六年後の二度目の火事の時であり、歴史から姿を消すのは安貞元年(一二二七)の焼亡である。
付近の発掘調査で確認されている主な遺構は、西側内郭回廊基壇(きだん)西、東面跡と雨落溝(あまおちみぞ)跡、承明門(じょうめいもん)跡、外郭西面築地(ついじ)跡、蔵人町屋(くろうどや)東・南雨落溝跡、蘭林坊(らんりんぼう)の溝跡などがあり、古絵図や発掘調査により、内裏内の主要な建物の位置は、ほぼ地形図上に落とすことが可能となっている。内裏跡では、内郭回廊跡のほか主要な殿舎跡に説明板や石柱が設けられている。
平成二〇年三月 京都市
▲上は源氏物語ゆかりの地「平安宮内裏跡」の説明パネルの文章をそのまま書き移しています。
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源氏物語1200年を記念して京都市により源氏物語ゆかりの地40ヶ所に説明板が設置されました。京都市文化市民局で教えていただいた源氏物語ゆかりの地の40ヶ所全部を訪ね歩きました。
源氏物語ゆかりの地「平安宮内裏跡」のパネルが掲示されている場所
京都市上京区下立売通智恵光院西入下丸屋町(上京歴史探訪館前)