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京都観光mz935

 

坂本龍馬寓居址 酢屋(すや)

 

説 明

坂本龍馬史蹟之一端

時ハ慶應三年六月十三日龍馬は後藤象次郎と相携へて京都に入りしが天下の形勢を愈く展開して倒幕の挙兵将に相迫らんとするの傾向にあり此に於て龍馬ハ寧ロ此際幕府に政權奉還せしむるの儀を提出せんと後藤と共に相謀りて藩論の貫徹に努む此間長崎及高知の間に相往来し十月九日再ビ入洛し遂に同年十月十四日將軍徳川慶喜大政返上するの確定議を見るに至れり
龍馬より國元大姉ニ差出シタル書面六月二十九日ノ記事ニ曰
「當時を京都三條河原町下る車道すやに有申」トアリすやハ即チ中川嘉兵衛方ニシテ現在ノ住所是なり翻を思ひ推考するに大政奉還畫策 當時龍馬ハ此家に在宿中の事ならんか而此のすやハ以前よりの材木商にして今尚次續し當主の前々代に當たれり家屋も亦その當時の儘なりしが昭和三年三月改築するに至る
是れより龍馬ハ越前に至たり三岡八郎(後の由利公正子爵)に面會し大政奉還後の経濟策の所見を叩きて歸へり京都に入れハ幕吏その身邊を覘ふ事頗る急なるにより藩士某の注意を以て河原町蛸薬師下ル井口新助近新方に轉宿し秘密に龍馬の一身保護方を謀りたるにもカゝハラズ十一月十五日夜終に凶刃に斃れたり
此夜書面を以て各所に散在せる海援陸援兩隊に変事を告ぐるや大阪に在りし隊士等上京し或ハすやに宿るもの陸奥關白峯長岡、菅野等他數名に及び以て後事を策せしと云ふ
當時の海援隊日記同家に存するものあり 史談會
上の文章は酢屋の前に掲示されている説明板の文章を書き写しています。

清らかな3本の水は願いが叶います。
清水寺音羽の滝の写真をご覧ください。

 江戸時代の享保6年(1721)年創業から今に続く材木商酢屋の6代目酢屋嘉兵衛が龍馬の活躍に共感し、龍馬と海援隊の為に一室を提供していました。龍馬は慶応3年(1867)11月15日に近江屋で暗殺される3日前までここに寝泊まりしていました。2階の「ギャラリー龍馬」で龍馬と酢屋の歴史が見られます。

酢屋の所在地/三条通の一筋南の龍馬通の河原町と賀茂川西岸の間、北側
2階のギャラリー龍馬入館料/高校生以上500円、午後5時まで
酢屋への電車バス/地下鉄「京都市役所前」、京阪電車「三条」下車
市バス「河原町三条」下車すぐ(京都駅から5系統に乗車)

京都の観光酢屋