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土佐稲荷・岬神社(とさいなり・みさきじんじゃ)

 

土佐稲荷・岬神社

 鴨川畔の岬のようなところにあった「岬神社」が、江戸時代初期に土佐藩邸の鎮守社とされたために「土佐稲荷」と呼ばれるようになりました。傷だらけだった龍馬像も新しく作り直され、2010年の龍馬ブームで参拝者が多いようです。

土佐稲荷・岬神社の所在地
京都市中京区蛸薬師通河原町東入備前島町317-2
参拝 境内参拝自由
土佐稲荷・岬神社への公共交通機関
 市バス「四条河原町」下車
 阪急電車「河原町」下車、徒歩約7分

岬(みさき)神社
(土佐稲荷(とさいなり))

 祭神は「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」と「石栄神(せきえいのかみ)」(柱は神様を数える単位)。農耕・商売・土木・金工など諸業の繁栄、火難除けなどの災厄除けにも御利益がある。
 社伝では、室町時代初期、鴨川の中州の岬(突端)に祠を建てたのが由来とされている。その後、祠は鴨川の西岸など数度遷され、江戸時代初期、この付近に建てられた土佐藩の京屋敷内に遷されることとなった。一般に「お稲荷さん」の愛称で親しまれる「倉稲魂命」を祀るため、「土佐稲荷」とよばれるようになる。
 以降、土佐藩士のみならず、先斗町・木屋町など周辺の町衆からも「産土神(うぶすなのかみ、地域密着の神)」として熱心な信仰を集め、わざわざ土佐藩邸内に、一般人が自由にお参りするための通路を確保したほどである。藩士たちの信仰も厚く、坂本龍馬(さかもとりょうま)や中岡慎太郎(なかおかしんたろう)らも詣でていたと考えられる。
 その後、明治維新により土佐藩邸が売却されるとともに、神社も移転を余儀なくされ、その後幾多の変遷を経て現在地に鎮座、大正二年(一九一三)には近隣の氏子たちによって現在の社殿が建立された。
 氏子地域は、北が三条通、南は四条通、東は先斗町、西は新京極。例祭は六月十日、近年、氏子たちの力が結集された崇敬会が発足し、明治十年(一八七七)から伝わる神輿も修復され、例祭に巡行する。
                   京都市
上は土佐稲荷に掲示されている京都市の駒札説明板の文をそのまま再録しています。

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清水寺音羽の滝のページをご覧ください。

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