哲学の道の熊野若王子神社
哲学の道の南端にあり、山の麓の静かな神社です。春は境内の桜が彩りを添え、夏も比較的涼しく、秋には紅葉が鮮やかです。
熊野若王子神社の絵馬には八咫烏が描かれているものがあります。八咫烏(やたがらす、やたのからす)は神話に登場する烏で、神武東征の際に、天皇を熊野の国から大和の国への道案内をしたといわれる、頭の大きい三本足の烏です。
熊野若王子神社の鎮座地
京都市左京区若王子町2
熊野若王子神社の参拝、拝観 境内自由
熊野若王子神社のご祭神
天照大神(あまてらすおおみかみ)、
伊佐那岐命(いざなぎのみこと)、
伊佐那美命(いざなみのみこと)、
国常立命(くにとこたちのみこと)
熊野若王子神社へのバス
●鹿ヶ谷通の市バス停留所「宮ノ前」で下車、
徒歩約10分
●南禅寺通の市バス停留所「永観堂前」で下車、
徒歩約10分弱
●市バス停留所「東天王町」下車、徒歩約10分
熊野若王子神社の由緒
▼下の文章は熊野若王子神社に掲示されていた京都市の古い駒札(下の写真)の文をそのまま再録しています。
熊野若王子神社
祭神として、国常立神(くにとこたちのみこと)、伊佐那岐神(いざなぎのみこと)、伊佐那美神(いざなみのみこと)、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る。
当社は、永暦元年(一一六〇)後白河法皇が、熊野権現を勧請して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称「若一王子」に因んでこのように名付けられた。以後、室町幕府及び武家の信仰を集めると共に、花見の名所としても知られ、寛正六年(一四六五)三月には、足利義政(あしかがよしまさ)により花見の宴が催された。その後、応仁の乱により社殿は荒廃したが、豊臣秀吉により再興され、社殿及び境内が整備された。
現在の社殿は、昭和五十四年(一九七五)に一社相殿に改築されたもので、以前は、本宮、新宮、那智、若宮の四棟からなっていた。
また、境内には、末社として恵比須神社及び三解(みとけ)社が祀れ、背後の若王子山頂には、同志社英学校(同志社大学の前身)の創立者である新島襄(にいじまじょう)の墓がある。
京都市
▲上は熊野若王子神社に掲示されていた京都市の古い駒札(下の写真)の文章をそのまま再録しています。
熊野若王子神社から哲学の道を少し北へ歩くと大豊神社の参道への橋があります。熊野若王子神社は春の桜が美しい哲学の道の南端にあります。哲学の道の桜の写真は哲学の道をクリックするときれいな桜の写真をご覧いただけます。