由 緒
祭神として菅原道真(みちざね)を祀(まつ)り、洛陽天満宮二十五社の一つに数えられている。社伝によれば、太宰府(だざいふ)(福岡県)に左遷された道真は、延喜(えんぎ)三年(九〇三)に五十九歳で没したが、没後、道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)は、「われを右近の馬場に祀(まつ)れ」との道真の託宣(たくせん)(おつげ)を受けたという。しかし、文子は貧しく、社殿を建立することができず、右京七条二坊の自宅に小さな祠(ほこら)を建て、道真を祀ったといわれている。これが当社の起こりで、天神信仰発祥の神社、また北野天満宮の前身とも伝えられている。以後、天明、安政、元治の大火で類焼したが、その都度再建され、明治に至り、村社に列せられた。現在の社殿は、大正七年(一九一八)に造営されたものである。毎年四月十六日に近い第三日曜日に、例祭が執り行われる。京都市
上は入り口の鳥居横に掲げてある京都市の駒札(由緒書)をそのまま再録いたしました。
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文子天満宮の早い春には左に白梅、右に枝垂れ紅梅が正面の鳥居を飾ります。境内には天神信仰発祥の由縁や歴史が絵入りで何枚も掲げてあります。
所在地/下京区間之町通上数珠屋町通上る天神町400
御祭神/菅原道真公
相殿 文子比売(菅公乳母) 伴氏(菅公御母君) 是善公(菅公御父母)
最寄駅よりの足/京都駅より北東へ徒歩約10分
拝観境内自由
▼梅が咲きだした間之町通の西側に面した文子天満宮の正面鳥居