糺の森(ただすのもり)
京都市の東北部の市街地の中に太古の森がそのまま残っているのが下鴨神社の糺の森です。北山山地から流れてきた鴨川と高野川が合流する地点の北側の三角地帯が下鴨神社の神域で、歴史ある世界文化遺産の社殿を包み込むように原生林が広がり、小川が流れています。「糺の森」は3~4千年前の山背原野の植生がそのまま現存しているといわれています。
(注:山背原野の山背とは山城国の古い名称で、平安遷都より前の7世紀以前は山背、山代と記して「やましろ」と読んでいたようです。)
糺の森と瀬見の小川の説明
▼下の文章は下鴨神社に掲示されている説明板(下の写真)の文を書き写しています。
糺の森(ただすのもり)と
瀬見の小川(せみのおがわ)
糺の森は、鴨川と高野川とが合流する地にあるニレ科の樹木を中心とした森で、山城国一宮賀茂御祖神社(やましろのくにいちのみやかもみおやじんじゃ)(下鴨神社)が鎮座しています。
平安時代から鎌倉時代の賀茂御祖神社社頭(しゃとう)の景観を描いた「鴨社古圖(かもしゃこず)」によると、瀬見の小川は馬場の西側を流れています。
さる平成二年から四年(1990~1992)にかけての糺の森発掘調査の結果、流路跡(りゅうろあと)が絵図のとおり検出されました。
また、他の場所で検出された古い流路からは、祭祀(さいし)で使われる土器が出土しています。
元禄七年(1964)四月十八日の賀茂祭(かもさい)から行粧(ぎょうしょう)が再興され、同時に途絶していた朝廷から奉納される走馬十列(そうめとおつら)の儀(ぎ)も復興をみ、そのとおり馬場整備により鴨川を源流とする現在の流路となりました。
「風土記(ふどき)」山城国逸文(やましろのくにいつぶん)には、御祭神賀茂建角身命(かもたけつぬのみこと)が「瀬見の小川」と名づけられたとの縁起を伝えています。また、元久二年(1204)三月撰進(せんしん)の「新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)」に採録さえた当神社祀官係累鴨長明(しかんけいるいかものちょうめい)の歌「石川や せみの小河(おがわ)の 清ければ 月もながれを 尋ねてぞすむ」で広く知られるようになりました。
上は下鴨神社の境内に掲げられている説明板(下の写真)の文をそのまま再録しています。
下鴨神社の縁結びパワースポット相生社のページもご覧ください。
下鴨神社、糺の森への公共交通機関
京阪電車、叡山電車「出町柳」下車、徒歩約15分
市バス「下鴨神社前」「糺の森」下車、徒歩数分