おとせの浜、堅田雄琴湖岸公園
(堅田の浮御堂の南隣にあります。)
堅田雄琴湖岸公園の所在地
滋賀県大津市本堅田2丁目1
JR湖西線の堅田駅より徒歩約15分
堅田の浮御堂の南に接した緑地で、琵琶湖岸に並ぶ春の桜がことのほかきれいです。釣りを目的で訪れる人も多く、公園内には駐車場とトイレが完備されていて遠くから訪れる人たちもみられます。 堅田の浮御堂の写真は堅田の浮御堂をクリックしてください。
おとせの石
おとせの石の横に設置されている説明パネル(この頁の下の写真)の文をそのまま書き写してしています。
源平争乱の時代、堅田の出身で京都の源氏屋敷に奉公していた、おとせと言う女性がいた。おとせは、平家滅亡の際に源氏の白旗を守って大津に逃れ、平家の追手をさけて湖に飛び込むが、平家の侍に白旗を握った手を切り落とされて死んだ。
片腕はこの地に流れ着き、浜の石を血で染めた。
そして、片腕はおとせの子が指を開かせるまで、忠義を貫いて白旗を離さなかったとう。
以来、この浜は、おとせの浜と呼ばれるようになった。その子は母の意志をついで白旗を守護し、のち木曽義仲(きそよしなか)の武将手塚太郎光盛(みつもり)になったという。
この話は、寛延(かんえん)二年(一七四九)浄瑠璃(じょうるり)『源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)』に役名を小万(こまん)と替えて取り入れられている。(大津市史より)
近くの神社の伊豆神社の頁も作りました。