石橋山(しゃっきょうやま)
宝永二年(一七〇五) 湊町
古くは靭猿(うつぼさる)山と呼ばれていたが、延享五年(一七四八)能楽「石橋(しゃっきょう)」にちなみ現在の山に替った。天台宗の僧寂昭(じゃくしょう)(大江定基)が、修行のために宋(中国)の天台山(または清涼山)に至り、石橋を渡ろうとした時、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の愛獣である獅子(しし)が現われ牡丹(ぼたん)の花にたわむれているのを見たという物語からきている。曳山は、「牡丹に唐獅子」といわれる様に、全体に牡丹の花で包まれ、俗に唐獅子山ともいわれる。
石橋山のみどころ
正面と背面にある「牡丹の彫刻」の懸魚(けぎょ)が見事であり、大きさは幅一五〇p程ある。天井には菊の彫刻が各格間(ごうま)に施(ほどこ)され、手の込んだ作り方をしているし、前柱には牡丹の花や、たくさんの蕾(つぼみ)がちりばめられ、その中には、蝶々(ちょうちょう)も舞っている。胴幕は中島来章(らいしょう)の下絵。正面は、雪景色で、月に三羽の雁が飛んでいる。左側は、湊の風景で中国風の三人の人物がおり、そのうちの一人は、遠目鏡(とおめがね)で船を見ているし、牡丹の花も描かれている。右側には、陸地と海をへだてて城がある。海には船が浮かび白馬に乗った貴人がおり、出迎えの人がいる。見送(みおくり)幕は、毛綴織(けつづれおり)で、上部には花束と鳥の模様が織り込まれている。この様な模様は大津の竜門滝山、長浜の鳳凰山(ほうおうざん)、京都の鶏鉾(にわとりぼこ)等の重要文化財指定の見送幕にも見られる。図柄は椅子(いす)に座った貴人を真中に、左には貴婦人がいて、その後方には侍女らしい婦人が、また右には従者らしき男性、貴人の前には壷を持った二人の男がいる。バックには遠くの山波が描かれている。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから石橋山の解説文の一部をそのまま再録しています。
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