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大津祭曳山 殺生石山(せっしょうせきやま)

 

殺生石山(せっしょうせきやま)

 元禄六年以前(一六九三) 柳町 能楽「殺生石(せっしょうせき)」より名付けられた。約八百年前、鳥羽院の寵愛(ちょうあい)を受けた玉藻前(たまものまえ)という女官がいた。実は玉藻は白面金毛九尾(はくめんきんもうきゅうび)の狐の化身であり、帝(みかど)の生命を奪い、国を亡ぼそうとしていた。しかし、陰陽師(おんみょうじ)の阿部泰親(あべのやすちか)に見破られて東国の那須ヶ原(なすがはら)に逃げ、上総介(かずさのすけ)・三浦之介(みうらのすけ)に退治され、殺生石といわれる石となった。その後も旅人を悩ましていたが、通りがかった玄翁(げんのう)和尚にざんげし、和尚の法力により成仏した。なお、人形やからくりの所作から、玄翁山・狐山とも呼ばれている。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから殺生石山の解説文をそのまま再録しています。

殺生石山のみどころ

 構造上の特色としては、猩々(しょうじょう)山と同じく、屋根は切妻(きりづま)造で、天井を張らずに化粧屋根裏となっている。屋根裏には、松村景文の筆による草花図が描かれている。この草花図は、軒桁(のきげた)の内と外に四十種類の草花が写生風写実的に描かれている。また、九尾の狐と玉藻(たまも)を描いた二枚の見送(みおくり)幕をはじめとして、その他の幕類にも、殺生石の名にちなむものが多いことも興味深い。金具その他の彫刻に、竜の図柄が多数ほどこされているのも特色である。
 尚、見送り幕は日本画家小倉遊亀画伯作による「霽(は)れゆく」を題材にした毛綴織で昭和五十九年に新調されたものである。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから殺生石山の解説文をそのまま再録しています。

殺生石1

殺生石2


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