西宮蛭子山(にしのみやえびすやま)
万治元年(一六五八) 白玉町
西宮蛭子(にしのみやえびす)山は、別名鯛釣(たいつり)山とも呼ばれ、万治元年(一六五八)作製当時には宇治橋姫(うじばしひめ)山と呼ばれていたが延宝三年(一六七五)に西宮蛭子山に替えられたといわれている。名称の通り曳山に「エベッサン」がのせられている。この町内は古くから毎年祭礼には、蛭子様を出して盛大に祀っていたが曳山にのせるようになり、からくりもエベッサンの鯛釣の巧妙でユーモアのあるからくりで曳山十三基の中でも人気がある。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから西宮蛭子山の解説文をそのまま再録しています。
西宮蛭子山のみどころ
曳山の特色は屋根構造にある。大体社寺建築の屋根構造に準じており、このような方式は社寺建築に十分通じている者でなければできないことであり、いわゆる宮大工の関与が大きいと想像される。宵宮用見送幕はおそらく中国の故事を表現したもので清朝初期の誠に豪華なものである。蛭子山は彫刻やその他の装飾を毎年修理あるいは補充しており、この町内の蛭子山に対する愛着がうかがえる。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから西宮蛭子山の解説文の一部をそのまま再録しています。
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