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大津祭曳山 孔明祈水山(こうめいきすいやま)

 

孔明祈水山(こうめいきすいやま)

 元禄七年(一六九四) 中堀町
 孔明祈水(こうめいきすい)山略して孔明山とも呼ばれる。その前進は、鷹匠(たかしょう)の練物(ねりもの)であったが、元禄七年(一六九四)に曳山の福聚(ふくじゅ)山に替り、宝永五年(一七〇八)に釣狐(つりぎつね)山に、享保八年(一七二三)に浦島亀釣(うらしまかめつり)山となり、延享五年(一七四八)に孔明祈水山となったものである。孔明祈水山とは、中国の三国時代の蜀(しょく)の軍師諸葛孔明(しょかつこうめい)の故事よりその名を取ったものである。諸葛孔明は、蜀の劉備(りゅうび)に三顧(さんこ)の礼をもって迎えられた名戦略家であった。魏(ぎ)の曾操(そうそう)と戦った時、川の流れを見て「敵を押し流すほどの大水を我(われ)に給(たま)え」と水神に祈ったところ、孔明の願いが天に通じて大洪水となり、たちまち敵軍は押し流され大勝利となったといわれる。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから孔明祈水山の解説文をそのまま再録しています。

孔明祈水山のみどころ

 孔明祈水山は、諸葛孔明の人形を飾るためか、曳山全体が中国風のデザインとなっている。背面の衣桁(いこう)やその回りの高欄(こうらん)には竜や雲をあしらっており、特に天井(てんじょう)は全く中国風の趣(おもむき)となっている。見送(みおくり)幕は「安樂庵の百福の見送り」といわれ、象形文字より始り李長吉、張芝、白楽天、杜小山、王子安、許慎などの有名な書家の「福」の字を、宵宮用には「寿」の字を、それぞれ百字集めた、まことに奇抜な趣向の織物である。
上は曳山展示館で200円で購入したパンフレットから孔明祈水山の解説文の一部をそのまま再録しています。

孔明祈水1

孔明祈水2


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