西行桜狸山(さいぎょうざくらたぬきやま)
大津祭 鍛冶屋町
西行桜狸山は、狸山とも呼び屋根の棟上に日和見(ひよりみ)をする狸の人形を立たせている。
鍛冶屋町は天孫神社の宮元の町で、大津祭の発祥にもかかわり、曳山が最初に造られたのも当町からという。当町内に伝わる由来書には、慶長年間(一五九六〜一六一五)に当町在住の塩売治兵衛が四宮神社(現・天孫神社)の祭礼に狸面をかぶり、采(さい)を振って風流踊りを踊ったのに初まり、翌々年からは治兵衛を竹の屋台にのせかつぎ歩き、現和八年(一六二二)からは狸の腹鼓をうつ「からくり」を作ってかつぎ歩いたが、寛永十二年(一六三五)からは、それに地車を付けて曳くことになったと記している。寛永十五年(一六四〇)には三ツ車形式の現在の山の形となった。
現在の曳山の名になったのは明暦二年(一六五六)からで、西行法師が桜の精と和歌問答をする能の演題による「からくり」が用いられたことに由来している。
上の文は西行桜狸山に掲示されている駒札説明板の文をそのまま再録しています。
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