小高い丘陵の頂上広場に建つ小野妹子神社の背後の木々の間に、箱型石棺状石室の破損した巨大な石が露出した状態で見られます。この石室は7世紀前半に造られたものと解説されています。小野妹子の墓という説については確定されていません。
丘陵上に展望所があり、琵琶湖を一望することができます。対岸の近江富士(三上山)や右手の琵琶湖大橋が美しく見渡せます。
小野妹子神社、唐臼山古墳の所在地
滋賀県大津市水明1丁目
小野妹子神社への公共交通機関
JR湖西線「小野」駅より徒歩約15分
小野駅前に地図案内板が設置されています。
唐臼山古墳
外交・華道の祖神 小野妹子神社
(祭神・大徳冠位小野妹子(いもこ)命)
推古朝の廷臣、妹子は遣隋使として外国に行かれた先駆者である。
西暦六〇七年聖徳太子が中国の隋朝と外交を開くに当り、遣隋使となり国書をもって渡海する。それには「日出ずる国の天子 日没する国の天子に書をいたす」と記され、大国隋へ対等の外交交渉を拓り開き日本の力を海外に示された外交史上有名な神徳の高い祭神である。今も神社へは外交官、駐在員の参拝が多い。
又、妹子は華道の創設者として、今も華道家元「池の坊」によって免許の授与が受け継がれている。
社殿は、古墳上にあり、裏の石垣のあとは、妹子の墓、唐臼山(からうすやま)古墳である。
上は小野妹子神社に掲示されている説明板の文を書き写しています。
唐臼山古墳
この古墳は、西側の封土が流出していて、巨大な箱形石棺状の石室が露出している。現況で全長5.45m、幅1.60m、高さ1.21mの長方形箱形を呈する。この様な構造を持つ古墳は、県内では3例しか認められていない。また、大和朝廷の官人層だけが造営できるという指摘もある。
石室を成す各石材は、いずれも1.5×2.5m前後の扁平な板石から成る。奥壁1枚、東側壁石3枚、西側壁石3〜4枚を立岩として連ねて室をつくり、4枚前後の天井石で覆うものである。しかし、石室の入口がどのような構造を成したか不明である。入口付近の床面には、土師器(はじき)細片と7世紀前後葉の須恵器(すえき)片が認められた。小野妹子(おののいもこ)を被葬者とする伝承は、江戸時代の記録にはじめて見られる。
平成2年3月 志賀町教育委員会
上は唐臼山古墳に掲示されている志賀町教育委員会の説明板の文を書き写しています。
▲小野妹子神社、社殿の背後に唐臼山古墳があります。
▲唐臼山古墳の箱型石棺状石室が破壊されて大きな石が露出しています。
▲唐臼山の展望所より見る近江富士(三上山)(上)、琵琶湖大橋(下)