近江神宮漏刻、火時計(京都近郊観光大津市)

 

近江神宮 再現された 漏刻、古代火時計

 

由 緒

近江神宮境内にに再現された漏刻

漏刻 ROKOKU 水時計 WATER CLOCK
日本最初の時計の模型 近江神宮と時の記念日
 天智天皇が御在世10年(西暦671年)大江大津宮(今の近江神宮の付近)に初めて漏刻台(水時計を設け、あまねく国民に時を知らされたことは、日本書紀に「漏刻(ときのきざみ)を新台に置きて始めて候時(とき)を打ち鐘鼓をならす。始めて漏刻を用ふ。この漏刻は天皇の皇太子にまします時に始めてみづからつくりたまふ所なり」と伝えられています。大正9年に制定された<時の記念日>は、そのご神徳を後世に伝え、正しい時間の観念の普及をうながす目的をもって、天智天皇が漏刻を置かれた4月25日(太陰暦)を太陽暦に換算して6月10日と定められました。6月10日<時の記念日>には近江神宮において<漏刻祭>が盛大に執り行われております。この漏刻の模型は一目盛りがおよそ10分間を示すように作られています。
上は近江神宮の漏刻の傍に掲げてある説明板をそのまま再録しています。

古代火時計 FIRE CLOCK

この火時計は約4000年前、中国にて、おもに夜間の時間を計るものとして用いられたもので、龍の背に等間隔に計14個の銅球が吊り下げられており、糸の下を燃え進む線香の火が糸を焼き切り、球が落下し、下に設けられたドラが鳴って時を告げるものです。この時計は1間隔がおよそ2時間を示すように作られています。
上は近江神宮の火時計の傍に掲げてある説明板をそのまま再録しています。

天智天皇
(てんじてんのう、てんちてんのう)

飛鳥時代の推古34年(西暦626年)〜天智天皇10年(西暦671年)46歳で死去。一般には中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)として知られ、第38代天皇で天皇在位期間は668年から671年までと短いですが、中大兄皇子の皇太子時代の数々の偉業でよく知られています。学問に優れ百人一首の「秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ」のお歌は特に有名です。陵墓は京都市山科区御陵上御廟野町にあります。

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  • 近江神宮再現された漏刻、古代火時計

近江神宮の御祭神
天智天皇 天の御名 天命開別大神(あめみことひらかすわけのみこと)
近江神宮への公共交通機関
 京阪電車石山坂本線「近江神宮前」寺駅下車、徒歩約10分
近江神宮の鎮座地 滋賀県大津市神宮町1−1

▼再現された漏刻(上)と火時計(下)
京都観光ガイド近江神宮漏刻