池の弁財天 厳島神社
京都三珍鳥居
京都御苑内の南にある九条池の小島に鎮座している島の弁財天、厳島神社の石の鳥居は上の横棒が破風型にカーブする珍しい鳥居で、国の重要美術品に指定されていて、京都三珍鳥居の一つに数えられています。
「京都三珍鳥居」は北野天満宮摂社伴氏社の「中山鳥居」と蚕ノ社の「三柱鳥居」とこの破風型鳥居です。
「中山鳥居」は貫(上より二番目の横の柱)が左右の縦の柱より外に出ていない、つまり貫通していない鳥居です。
蚕の社で親しまれている右京区太秦の神社は正しくは木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)というむつかしい名前の神社で雨乞いの神社として信仰を集めています。
境内の池に縦の柱が三本もある鳥居があり、上から見ると三角形になっていてこの鳥居を「三柱鳥居」と呼ばれています。境内社の「蚕養神社(こかいじんじゃ)」に織物の始祖がお祀りしてあるところから蚕の社で親しまれています。
京都御苑内の厳島神社の場所
京都市上京区京都御苑内6番地
厳島神社の参拝 境内参拝自由
厳島神社への電車とバス
●市営地下鉄烏丸線「丸太町」下車
京都御苑の椹木口より東へ徒歩約7分
●京都市バス「裁判所前」下車
堺町御門より京都御苑へ入って徒歩数分
池の弁財天 厳島神社の由緒
由 来
祭神
市杵島姫命 湍津姫命 田所姫命 祇園女御
当社は往昔 平相國清盛公 安藝の國佐伯郡に坐す厳島大神を崇敬の余り摂津の國 菟原郡兵庫築島(神戸市兵庫区永沢町)に一社を設けてこの大神を勧請し給い鎮祭されたのであり後 故あって側らに清盛公の母儀 祇園女御をも合祀されました。後世年を経てこの九條家邸内 拾翠池の嶋中に移転遷座されたのであります(濫觴年代等は天明八年京都大火の砌 旧地悉く焼亡して詳でありません)この地 旧公爵 九條家の邸内に属せしにより自ら同家の鎮守となりました 又 古くより家業繁栄 家内安全の守護神として一般の人々よりも深く崇敬されているところであります
神前の鳥居(重要美術品)は破風形の鳥居として有名であり詳細は本殿横の由来書をご覧ください
厳島神社
上は厳島神社の入り口に掲げてある由緒書(下の写真)をそのまま再録しています。