金攫八幡宮
(きんかくはちまんぐう)

 「金攫(きんかく)八幡宮」は貞享2年(江戸時代、1685)に石清水八幡宮からご祭神の八幡神(応神天皇)を勧請してこの地にお祀りしたのが始まりです。

 この地域の産土神(うぶすながみ)として300余年も前から人々に崇敬され続けています。昔の地名により過去には小北山八幡宮と呼ばれていました。

 全国に数え切れない程祀られている八幡社のご祭神の八幡神は応神天皇(誉田別命、ほむたわけのみこと)で、神功皇后(息長足姫命、おきながたらしひめのみこと)と比売大神(ひめおおみかみ)と3神でお祀りされている八幡社が多いです。

金攫八幡宮の御祭神
 
応神天皇
金攫八幡宮の鎮座地
 
京都市北区平野桜木町
金攫八幡宮へのバス
 西大路通を走る市バス「わら天神前」下車すぐ
金攫八幡宮のご神徳
 
殖産興業、延命長寿 等
参拝 境内参拝自由
近くの神社
 敷地神社(わら天神) 、平野神社

金攫八幡宮の由緒

金攫八幡宮

 当、八幡宮(はちまんぐう)は小北山八幡宮(おぎたやまはちまんぐう)とも呼ばれ、約320年前貞享(ていきょう)二年卯正月(一六八五年)山城国石清水八幡宮(やましろのくにしみずはちまんぐう)より御分霊(ごぶんれい)、この地山城国葛野群衣笠村字小北山(やましろのくにかどのぐんきぬがさむら」おぎたやま)の産土(うぶすながみ)として大神(おおかみ)を崇敬信仰(すうけいしんこう)する人々が加護(かご)を受け今日に至っています。
 祭神(さいじん)は応神天皇(おうじんてんのう)で仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の皇子(おうじ)、御母(おんはは)は功宮皇后(じんぐうこうごう)であります。
 御在世(ございせい)の御名(おんみょう)を大鞆別尊(おおともわけのみこと)と申し一に譽田別尊(ほんだわけのみこととも胎中天皇(たいちゅうてんのう)とも称せられます。
 天皇の御神徳(ごしんとく)は我国文教(わがくにぶんきょう)の祖(そ)、殖産興業(しょくさんこうぎょう)の守護神(しゅごしん)として崇(あが)められ殊に御長寿(ごちょうじゅ)なるを以って延寿(えんじゅ)の大神(おおかみ)として厚く崇敬(すうけい)されています。
 奉遷(ほうせん)より社頭(しゃとう)の付近は田圃(たんぼ)の間に僅少(きんしょう)の人家が散在(さんざい)する状態でありましたが今日では住所も京都市北区平野桜木町(きょうとしきたくひらのさくらぎちょう)となり京都(みやこ)の西北の一角で人々に親しまれる八幡宮(はちまんぐう)として存在しています。
 また、境内東側(境内東側)の大きな木は、「黄金(こがね)モチ」の木で年中赤い実を湛(たた)えお参りの皆様をお迎えしています。
 本殿は昭和四十二年秋に改修(かいしゅう)され、それまでの桧皮葺屋根(ひわだぶきやね)から銅葺屋根(どうぶきやね)に改め現在に至っています。
 平成十八年十一月  八幡宮(はちまんぐう)
上の文章は金攫八幡宮に掲げてある由緒書(下の写真)をそのまま再録しています。