哲学の道の南端にある橋を東に渡ると熊野若王子神社にお詣りできます。関雪桜が美しい哲学の道の桜を眺めながら北へ歩くと狛ねずみで有名な大豊神社への参道の橋があります。
熊野若王子神社の御祭神
天照大神、伊佐那岐命(いざなぎのみこと)、
伊佐那美命(いざなみのみこと)、
国常立命(くにとこたちのみこと)
熊野若王子神社へのバス
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鹿ヶ谷通の市バス停留所「宮ノ前」で下車、
徒歩約10分
●南禅寺通の市バス停留所「永観堂前」で下車、
徒歩約10分弱
●市バス停留所「東天王町」下車、徒歩約10分
熊野若王子神社
当社は永歴元年(一一六〇)後白河法皇が熊野権現を勧進して建立した若王子の鎮守社で、社名は天照大神の別称若一王子に因んでこのように名付けられた。
以後室町幕府及び武家の信仰を集めると共に花見の名所としても知られ、寛正六年(一四六五)三月には足利義政により花見の宴が催された。その後、応仁の乱により社殿は荒廃したが、豊臣秀吉により再興され、社殿及び境内が整備された。
現在の社殿は昭和五十四年(一九七九)一社相殿に改築されたもので、以前は本宮・新宮・那智・若宮の四棟からなっていた。
上は熊野若王子神社拝殿の横に掲示されている由緒書をそのまま再録しています。
当若王子神社の末社 夷川社の御祭神であります恵比須神像は木造寄木造り等身大の座像で、社宝の御神体として祀られ現在も多くの崇敬者より篤く信仰されて居ります。
宝歴十一年(一七六一年)に書かれた「京町鑑」には「古老云、往古西洞院中御門−今いう椹木町−に北山の下流あらはれ、又この辺に蛭子(エビス)社有りしゆえ恵比須川と號し、其後次第に人家建つゞきしゆえ通りの名とす、應仁の乱に此社亡滅し、川も埋れ侍りしが不思議に蛭子の神像残り……云々」とあり、この御神像が当社に祀られたと伝えられている。
上は熊野若王子神社恵比須殿の前に掲示されている由緒書をそのまま再録しています。