由 緒
天慶五年七月(九四二)西京七条に住む文子に「九州より都に帰りたいと思っているので、昔からゆかりの深い右近の馬場(今の北野天満宮)に祠(ほこら)を構(かま)えよ」との菅原道真公の託宣(おつげ)が下った。しかし文子はその力なく住居の庭前に小さな祠を建てて崇(あが)めまつったのである。天暦元年六月九日、文子は菅原道真公の御霊(みたま)を北野の地に移しおまつり申し上げました。これが北野天満宮の創建であります。多治比の文子により菅原道真公をわが国一番最初に天神様として信仰の対象におまつり申し上げた次第から天神信仰発祥の神社と言われる由縁であります。
上は境内の由緒書をそまま再録したものです。
菅原道真公が太宰府へ御左遷の途次お立寄の際腰掛けられた腰掛石
上は境内の由緒書をそのまま再録したものす。
石の上には五円硬貨を中心に一円硬貨を五枚取り巻いて梅の花が形造られています。
梅満開の北野天満宮のページもご覧ください。