京都観光mz2312

 

文子天満宮 多治比文子像と腰掛石

 

由 緒

文子(あやこ)託宣の像

天慶五年七月(九四二)西京七条に住む文子に「九州より都に帰りたいと思っているので、昔からゆかりの深い右近の馬場(今の北野天満宮)に祠(ほこら)を構(かま)えよ」との菅原道真公の託宣(おつげ)が下った。しかし文子はその力なく住居の庭前に小さな祠を建てて崇(あが)めまつったのである。天暦元年六月九日、文子は菅原道真公の御霊(みたま)を北野の地に移しおまつり申し上げました。これが北野天満宮の創建であります。多治比の文子により菅原道真公をわが国一番最初に天神様として信仰の対象におまつり申し上げた次第から天神信仰発祥の神社と言われる由縁であります。
上は境内の由緒書をそまま再録したものです。

菅公腰掛石

菅原道真公が太宰府へ御左遷の途次お立寄の際腰掛けられた腰掛石
上は境内の由緒書をそのまま再録したものす
石の上には五円硬貨を中心に一円硬貨を五枚取り巻いて梅の花が形造られています。
梅満開の北野天満宮のページもご覧ください。

▼文子天満宮は下の写真をご覧いただけます。▼

  • 多治比文子像と腰掛け石

文子天満宮の鎮座地 下京区間之町通上数珠屋町通上る天神町400
文子天満宮の御祭神 菅原道真公、多治比文子
  相殿 文子比売(菅公乳母) 伴氏(菅公御母君) 是善公(菅公御父母)
最寄駅から文子天満宮への足 京都駅より北東へ徒歩約10分
文子天満宮の参拝 境内自由

▼境内にある多治比文子像と菅公腰掛石
京都観光ガイド多治比文子像