由 緒
重要文化財
小野(おの)神社境内社篁(たかむら)神社本殿
明治四十年八月二十八日指定
小野神社は、小野妹子(おののいもこ)の出生地とみられ、篁神社は小野篁を祀る。
現在の本殿は、室町時代前期に建てられ、形式は三間社(さんげんしゃ)の切妻造(きりづまづくり)に一間(いっけん)の向拝(こうはい)が付く。切妻造平入(ひらい)りの本殿は遺構が少なく貴重な建物である。
上は小野篁神社の境内に掲げてある志賀町教育委員会の由緒書をそのまま再録しています。
遣唐使で有名な小野妹子の子孫で、延暦21年(802)生まれ、仁寿2年(852年)没した平安時代前期に活躍した官人、学者、歌人。小倉百人一首の「わたの原八十(やそ)島かけて漕(こ)ぎ出でぬと人には告げよあまの釣舟」は小野篁が詠んだ歌としてよく知られています。地獄を往復して閻魔大王を補佐していた等の逸話が多い小野篁ですが、京都市には地獄へ入る為の井戸があった「六道珍皇寺」やこの世に戻る井戸があったとも言われている「千本閻魔堂」が小野篁と由縁がある寺としてよく知られていますが、大津市に小野一族を生んだ土地があり、小野妹子の墓、小野道風、小野篁を祀る神社があり、明治の時代にすでに国の重要文化財に指定されていたこともほとんど知られていません。
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