平野神社3-京都観光写真集

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平野神社(ひらのじんじゃ)

 

由 緒

平野神社(前頁よりのつづき)

【4】沿革
 奈良時代末期の延暦元年(782)『続日本記』に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」とあり、平城京の内に祀られていました。ここは桓武天皇の父光仁天皇の御所でした。この地には延暦13年(794)平安遷都と同時に御遷座されました。当初境内地は方八町余(1.2km四方)で、現在の京都御所とほぼ同じでしたが、時の変遷と共に現在の200m弱四方となりました。
【5】御神階
 平安時代になると御祭神は急に位が上がり、貞観六年(八六四)には今木皇大神が正一位の位を授けられました。その前年貞観五年には久度・古開両大神に正三位、比賣大神は従四位上に叙せられています。
【6】社格と称号
 『延喜式』(律令の施行細目、平安時代初期の延喜年間に着手され延長5年(927) 完成)によれば、全国唯一の「皇太子御親祭」が定められた神社です。同式の「神祇官式・祝詞」には「皇大御神・皇大神」と称され、また「東宮坊式」には「神院」と言う宮中神と同様の扱いを受けております。『文徳天皇実録』仁寿元年(851)には勅使を「平野神宮」に遣わすとあります。全国でも数社に限られる「皇大御神・皇大神」「神宮」。宮中神である「神院」これらの尊称から宮中外の宮中神であったことが窺えます。このようなことから当社は皇城鎮護の神を定めた「二十二社」の五位に列せられました。また明治4年には官幣大社に列格しております。
【7】宮中 平野御竈
 『延喜式』の「内膳司式」によれば、天皇の食を饗する御竈には「平野・庭火・忌火」の三竈があり、庭火御竈は平時の食膳、忌火御竈は祭時の食膳を饗し、平野御竈は健康・吉祥を司る御竈であるとされています。これは平野四神の御神徳が一体となり常に宮中と関わりを持ち、天皇をお守りしていた事にほかなりません。
▲上の文章は平野神社の境内に貼り出されている由緒書を書き写しました。(次頁につづく)

別サイトに新しく作った平野神社のページをご覧ください。

▼平野神社は下の4枚の写真をご覧いただけます。▼

平野神社の神門(中門)の脇で咲く「魁桜(さきがけざくら)」は3月下旬には白い花が満開になります。

平野神社の鎮座地 京都市北区平野宮本町1
平野神社の参拝 境内参拝自由
平野神社への公共交通機関
 西大路通を走る市バス「衣笠校前」下車、すぐ
  (京都駅前から市バス50系統又は市バス205系統に乗車)

3月下旬の魁(さきがけ)桜
京都観光ガイド平野神社3画像