由 緒
和気清麻呂公命
足腰の守護神 清麻呂公が都より宇佐へ向かわれた際、突如三百頭もの猪が現れ道中を無事に案内し、清麻呂公の足萎えが不思議と治癒したという故事により、足腰の健康安全・病気怪我の回復には格別の御利益があると言われています。
清麻呂公の姉君の広虫姫は、宮中の女官として五代の天皇に仕え、厚く信頼されていました。慈愛の心が厚く、戦乱で生じた多くの孤児たちを養子として育てられたことから、子育て・養育の祖神として信仰されています。
上2つの文は護王神社に掲げられている由緒書をそのまま再録しています。
この護王神社にお祀りされている和気清麻呂公は、神護景雲三年(769)怪僧弓削道鏡が皇位を奪おうとしたとき、宇佐八幡宮の御神託によってその野望を挫かれた。そのため公は道鏡の怒りを買い、大隅国(現在の鹿児島県)へ追いやられたが、その途中、万世一系の皇統をお守りできたことに感謝するため、豊前国の宇佐八幡へお礼参りに向かわれた。その時、どこからともなく三百頭もの猪が現れ、公の周りを囲んで宇佐八幡までの十里の道のりを無事に御案内した。そして公が悩んでおられた足萎えも不思議に治ったという。(『日本後記』巻八)当神社では、公を救った猪を霊猪と讃え、拝殿前には公の随神として雄雌一対の猪が相対峙している。そのおかげで、足の病気や怪我に悩む人々をはじめ、旅行安全や災難除けを願う人々から崇敬されている。幸運の霊猪 鼻をさわると幸せになれる。または、そこに再び来ることができる。
上は護王神社に掲げられている由緒書をそのまま再録しています。