八坂神社西楼門
京都のメインストリート四条通の東端に位置する写真の西楼門は平成十九年に瓦の葺替えや朱の塗替え等の大修復が行われ、あざやかな朱色を輝かせています。写真は修復直後に撮影したものです。
この西楼門が正門と思われがちですが、下河原通に通ずる南楼門が八坂神社の正門です。
八坂神社の西楼門は国の重要文化財に指定されています。
京都の社寺は応仁の乱によりことごとく焼失しましたが、この八坂神社も火災に見舞われました。焼失した西楼門はその後の明応6年(1497)に再建されました。再建時の屋根が檜皮葺き(ひわだぶき)だったものを永禄年間に瓦葺きに改築されました。
西楼門の大きさは桁行(幅)が7.9メートルで高さが9.1メートル です。
八坂神社へのバスと電車
●市バス「祇園」下車徒歩すぐ
●京阪電車「祇園四条」駅下車東へ徒歩約10分
●阪急電車「河原町」駅下車東へ徒歩約10数分
八坂神社の場所
京都市東山区祇園町北側
(京都市のメインストリートの四条通の東の端にあります。)
八坂神社の由緒
八坂神社
素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)およびその御子八柱神(やはしらのかみ)を祭神とする。明治以後
八坂社と称し、古くは祗園社と呼ばれ、一般に「祗園さん」の名で親しま
れており、全国祗園社の根本神社である。この神社は貞観十八年(八
七六)僧円如が牛頭天王(ごずてんのう)を迎えたのが起こりといわれ、牛頭天王が
素戔嗚尊になって現れたといわれる疫病除けの神である。疫病流
行に際し、京都の人々はこの神を祭って疫神をはらおうとした。こうして
祗園会が始まり、平安時代中期から山鉾巡行も起こり、幾多の変遷を
経て現在も毎年七月祗園会が当社の祭礼として盛大に行われる。
一方本殿は平安時代の初め藤原基経(もとつね)がこの地に観慶寺感神院を建て
寺内に本殿を設けたのが始まりといわれる。現本殿(重要文化財)は
永應三年(一六五四)の再建であるが、平安時代末期の様式を伝え祗
園造として有名である。東山通に面する楼門は西門で室町時代の
建物(重要文化財)である。なお、毎年元旦未明に行われるおけら
まいりも有名で多数の市民で賑わう。
京 都 市
上の文は八坂神社に掲示されていた京都市の古い駒札由緒書(下の写真)を再録しています。
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