大覚寺(だいかくじ)

 大覚寺は御影堂、五大堂(本堂)、霊明殿、御霊殿(安井堂)、正寝殿などの典雅な御所風の建物が回廊によって結ばれ、拝観者は回廊を歩いて狩野派の障壁画などを鑑賞することができます。

 この小刻みに曲がる回廊の柱を雨に、床を稲妻に見立て「村雨の廊下」と呼ばれます。

  大覚寺で栽培されている嵯峨菊は、境内の菊ヶ島に自生していた菊を江戸期に品種改良されたもので、2メートルもある草丈は殿上から花を観賞する目的で作られました。

 大覚寺だけで栽培される門外不出の嵯峨菊は、毎年11月1日~11月30日の1ヶ月間に大覚寺で開催される嵯峨菊展で1000鉢もの美しい菊の花が鑑賞できます。

 嵯峨菊は日本三大名菊に数えられる古典菊といわれています。

大覚寺の由緒

▼下の文章は大覚寺に掲示されている京都市の駒札(下の写真)を書き移しています。

大覚寺(だいかくじ)
旧嵯峨御所(きゅうさがごしょ)

 嵯峨山と号する真言宗大覚寺派の大本山である。
 当山は、嵯峨天皇の離宮嵯峨院の一部で、天皇崩御の後の貞観十八年(八七六)に寺に改められ、大覚寺と名付けられた。その後一時荒廃したが、徳治二年(一三〇七)に後宇多天皇が入寺し、寺を復興するとともに大覚寺統を形成した。以後、持明院統と皇位継承について争い、明徳三年(一三九二)当寺で南北朝の媾和が成立した。
 宸殿は、後水尾天皇の中宮東福門院の旧殿を移築したもので、内部は、狩野山楽筆の「牡丹図」、「紅白梅図」などの豪華な襖絵で飾られている。
その外、御影堂(みえどう)、霊明殿(れいめいでん)、五大堂、安井堂、正寝殿(しょうしんでん)、庫裏などの堂宇が建ち並び、旧御所の絢爛さを今に伝えている。 京都市
▲上は大覚寺に掲示されている京都市の駒札(下の写真)の文章をそのまま再録しています。

 大覚寺の大沢池の春は桜がきれいに飾ります。大覚寺の拝観時間、拝観料、交通手段については大沢池をクリックすると別ページにくわしく書かれています。