大覚寺 五大堂

 大覚寺の本堂は五大堂と呼ばれている建物で、内陣には大覚寺の本尊の五大明王が安置されています。

 弘仁2年(811)に嵯峨天皇が空海に命じて大沢池の畔に五覚院を建立したのが現代の五大堂の前身と言われています。今に見る五大堂は天明年間(江戸時代1781~1789)に建立されたものです。

 現代の五大堂には不動(ふどう)を中心に、左には大威徳(だいいとく)、軍荼利(ぐんだり)、右に降三世(ごうざんぜ)、金剛夜叉(こんごうやしゃ)の五大明王が安置されており、この五大明王は昭和50年(1975)に造像されたものです。

大覚寺五大堂の由緒

▼下の文章は大覚寺に掲示されている五大堂の説明板(下の写真)の文を再録しています。

五大堂

『大覚寺の古文書』の中に「嵯峨天皇の勅願により嵯峨離宮に嵯峨五台山明王院五大堂を建立し、弘法大師が入唐した折、大唐より伝わった。
五大明王(重要文化財につき宝物殿に安置)を奉祀し、弘仁二年(八一一年)三月十一日に利民安世、五大明王秘法を修し給う。
たちまち、五風十雨(ごふうじゅうう)節序にしたがい百穀豊饒(ひゃっこくほうじょう)し、万民(ばんみん)其澤(そのめぐみ)に潤(うるお)う」と、その由来が伝えられています。
 現在の建物は、江戸時代の天明年間(一七八一~八九年)に再建されたもので、大覺寺の本堂です。本来は境内中央、勅使門の正面(現在の石舞台)の位置にありましたが、大正十四年(一九二五年)大正天皇即位式の饗応殿が下賜(かし)され御影堂(心経前殿)として建築されたため、現在地に移築されました。
 また、現在お祀りされている本尊は大覺寺創建一、一〇〇年を記念して、昭和五十年(一九七五年)に京都の大仏師松久朋琳(まつひさほうりん)と人間国宝 松久宗琳(そうりん)の手で新しく造像されたものです。近畿三十六不動尊第十三番の霊場として多くの人々に親しまれております。
▲上は大覚寺に掲示されている五大堂の説明板(下の写真)の文章をそのまま再録しています。

 大覚寺の大沢池の桜のきれいな写真は大沢池をクリックすると大きな写真が見られます。