日吉大社走井橋と二宮橋(京都近郊観光大津市)

 

日吉三橋(重要文化財)走井橋、二宮橋

 

由 緒

日吉三橋の内、走井橋(はしりいばし)

 走井橋は、大宮橋のすぐ下流にかかるお祓(はら)いをするための石造反橋(そりはし)です。
 日吉三橋の中でも最も簡素な構造で、幅四・六メートル、長一三・八メートルを測ります。川の中に方柱の橋脚をたてますが、その数も六本と少なく、また桁(けた)も省かれ、橋脚の頭に継ぎ材をおいて、橋板をかけています。橋板に反りをつけることで、軽快な感じをよく出しています。
 走井橋の名は、橋の傍らに走井という清めの泉があることに由来しています。
 天正年間(一五七三〜九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
 大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。
平成十七年(二〇〇五)十一月 大津市教育委員会

日吉三橋の内、二宮橋(にのみやばし)

 二宮橋は、東本宮(ひがしほんぐう)(二宮)へ向かう参道の、大宮川にかかり花崗岩(かこうがん)製の石造反橋(そりはし)ですが、木造橋の形式によって造られたものです。川の中に十二本の円柱の橋脚をたて、その上に三列の桁(けた)をおき、桁上に継ぎ材をならべ橋板を渡し、両側に高欄(こうらん)をつけています。
 上流にかかる大宮橋とほぼ同規模で、幅五・〇メートル、長一三・九メートルを測りますが、構造はより簡単で、脚の貫もなく、高欄も板石(いたいし)と擬宝珠(ぎぼし)付親柱で構成されています。
 天正年間(一五七三〜九二)豊臣秀吉が寄進したと伝えられていますが、木橋が現在の石橋に掛け替えられたのは、寛文九年(一六六九)のことです。
 大正六年(一九一七)八月、日吉三橋の一つとして国の指定文化財となりました。
平成十七年(二〇〇五)十一月 大津市教育委員会
上の二つは走井橋と二宮橋の傍に掲げてある大津市教育委員会の説明板をそのまま再録しています。

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大宮川に架かる重要文化財の石橋、日吉三橋は上流より大宮橋、走井橋、二宮橋と並んでいます。

▼日吉三橋の内、走井橋(上)と二宮橋(下)
京都観光ガイド日吉橋2