天龍寺は後亀山上皇・後嵯峨上皇の仙洞御所の跡で、足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために夢窓国師(むそうこくし)を開山として暦応2年(1339)に建立された禅寺です。
天龍寺の法堂の天井には加山又造画伯(1927~2004)による雲龍図が描かれています。法堂内部は期間限定有料で公開されています。
勅使門の傍の方丈池の夏の朝には美しい蓮の花が見られます。
(参考)
第96代後醍醐天皇の在位は鎌倉時代後期の文保2年(1318)~南北朝時代初期の延元4年・暦応2年(1339)。
後亀山上皇は南北朝時代の南朝方最後の第99代天皇で在位は弘和3年(1383)~明徳3年(1392)。
後嵯峨上皇は鎌倉時代の第88代の天皇で在位は仁治3年(1242)~寛元4年(1246)です。
春には境内全体に天龍寺の桜も美しく見られます。
天龍寺の宗派 臨済宗天龍寺派
天龍寺の庭園拝観 500円
本堂の拝観は100円を追加
天龍寺への公共交通機関
JR「嵯峨嵐山」下車 徒歩約10分
京福嵐山線(らんでん)「嵐山」下車徒歩すぐ
市バス「嵐山天龍寺前」下車 徒歩すぐ
京都バス「京福嵐山駅前」下車 徒歩すぐ
▼下は天龍寺に掲げてある右下の写真の駒札説明板の文を再録しています。
由 緒
当寺は暦応二年(西紀一三三九)奈良県吉野の行宮で崩御された南朝の後醍醐天皇の冥福を祈るため足利尊氏が発願し、北朝の光嚴天皇の勅許を得て名僧夢窓国師を開山として創建された寺である。
詳しくは霊亀山天龍資聖禅寺と云い、室町時代京都五山第一位に列せられた。この地は始め後嵯峨、亀山両上皇の離宮亀山殿であり、後醍醐天皇は幼少より青年期に至るまでここで成長修学された因縁の場所である。当寺建立のためには光嚴天皇、足利尊氏は諸国の荘園領地を寄進されたが更に御朱印船、天龍寺船と云ふ貿易船を中国に派遣して、その利益を以って建立の資金とした。それに依り応永年間(西紀一四二五)には七堂伽藍をはじめ一二〇の支院等があり、四キロ四方にわたる壮大なものであった。
然るに八回の火災に遭い、その最後は幕末元治元年(一八六四)蛤御門の変の時薩摩の兵火にかかり、全灰燼に帰した。明治三十年に至って漸く現在の伽藍を復興するに至り現境に至っている。特別史跡名勝天龍寺庭園曹源池は方丈の西に在り借景に依る池泉回遊式の禅宗庭園としては、開山夢窓国師晩年の作庭として随一を誇るものである。
天龍寺
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