落柿舎は茅葺きの簡素な草庵で俳人の向井去来が居住していました。

 

落柿舎(らくししゃ)

 

落柿舎 らくししゃ

 俳人「向井去来」が晩年を過ごした茅葺きの草庵です。嵯峨野散策コースの中間にあります。
落柿舎の所在地
 
京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町20
落柿舎の拝観料 250円
落柿舎の拝観時間
 
朝9時より夕5時まで
(1月と2月は朝10時より4時まで)
落柿舎への公共交通機関
●市バス「嵯峨小学校前」下車、徒歩約10分
 (京都駅前より市バス28系統に乗車)
●京都バス「嵯峨小学校前」下車、徒歩約10分

由  緒

落柿舎(らくししゃ)

 ここは、蕉門十哲の一人として名高い向井去来(慶安四年(一六五一)~宝永元年(一七〇四))の閑居の跡として知られている。当時、庭にあった四十本の柿の実が一夜のうちにほとんど落ちつくし、かねて買約中の商人を気の毒に思って価を返してやった。これが落柿舎の名の由来である。
 芭蕉も晩年、三度当庵を訪れ、名作「嵯峨日記」を著した。庭には去来のよんだ
 柿主(かきぬし)や梢(こずえ)はちかきあらし山
の句碑がある。
 去来は長崎の生まれ、芭蕉に師事して俳諧を学び、その芭蕉をして「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」といわしめた。かって武人であった去来は極めて篤実真摯な人柄で、芭蕉に仕えるさまは、ちょうど親に対するようであった。
その句
 鴨なくや弓矢を捨てて十余年
はよく知られている。 京都市
▲上は落柿舎に掲げてある右下の写真の京都市の駒札説明板を再録しています。

落柿舎1

落柿舎2

落柿舎3
▲落柿舎に掲示されている京都市の駒札説明板