清凉寺阿弥陀堂は源氏物語光源氏のモデルの源融(みなもとのとおる)が建立した棲霞(せいか)観を偲ぶ唯一の建物と言われています。
平安時代前期の公卿である源融(みなもとのとおる、弘仁13年(822)~寛平7年(895))は嵯峨天皇(第52代天皇)の皇子で河原左大臣と称されました。紫式部が書いた「源氏物語」の美男子の主人公、光源氏の実在のモデルといわれています。
源融が嵯峨で営んだ山荘が棲霞観(せいかかん)で、棲霞観の跡が現在の清凉寺です。
源融は仏像を彫ったり、写経をして仏に対する帰依に心がけていましたが、心半ばにしてあの世に向かいました。その後、源融の子供らが融の志を受け継ぎ完成させたのが棲(栖)霞寺で、東大寺の僧奝然(ちょうんねん)が宋より持ち帰った釈迦如来像を棲霞寺に安置し、奝然の死後、弟子達が奝然の意志を継いで宋の五台山清凉寺に倣って作った寺院が現在の清涼寺です。
奝然が宋より持ち帰った釈迦如来像と、棲霞寺の本尊であった阿弥陀三尊像は国宝に指定され、清涼寺の霊宝館に安置されていて、春と秋に有料で拝観できます。
阿弥陀堂は幾度かの災火を蒙り、現在の建物は文久三年(1863)に再建されました。
清凉寺の境内に咲く春の桜は清凉寺の桜をクリックするとご覧いただけます。
清凉寺の場所 京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46
清凉寺の拝観 境内自由
本堂拝観料 400円
霊宝館拝観料 400円(霊宝館は春と秋に拝観)
清凉寺への公共交通機関
JR嵯峨野線「嵯峨嵐山」駅下車、
駅の北側の階段を下りて徒歩約10分
▲源融ゆかりの清凉寺阿弥陀堂は文久3年(1863)に再建されました。
▲清凉寺の阿弥陀堂は棲霞観が偲ばれる唯一の建物といわれます。
▲清凉寺阿弥陀三尊像は古いパンフレットの写真を使わせていただきました。