放下鉾(ほうかほこ)
真木の天王座に放下僧が祀られ、鉾頭の日、月、星の三つの光が下界を照らしています。
稚児人形が人形方に操られて稚児舞をするのが特徴です。
放下鉾の山鉾町
京都市中京区新町通四条上る小結棚町
放下鉾(ほうかほこ)
鉾の名は真木(しんぎ)の中ほどの「天王座(てんのうざ)」に放下僧像を祀るのに由来、鉾頭(ほこがしら)は日・月・星の三光が下界を照らす形を示し、その型が州浜(すはま)に似ているので別名を「すはま鉾」ともいう。
かっては「生稚児(いきちご)」であったが昭和四年以降は稚児人形に替えられた。これは久邇宮多嘉王(くにのみやたかおう)により三光丸(さんこうまる)と命名され、巡行の折には生稚児同様、稚児舞ができるように作られている。
この鉾は明治中期に大改造され、金具類も順次整備された。破風(はふ)正面の三羽の丹頂鶴(後面二羽)は幸野楳嶺(こうのばいれい)(一八四四~一八九五)の下絵を高浮彫し、大正六年に完成したもの、下水引(したみずひき)は与謝蕪村(よさぶそん)(一七一六~一七八三)下絵の琴棋書画図(きんきしょがず)であったが平成六年から栂尾(とがのお)高山寺の国宝華厳宗祖師絵伝(けごんしゅうそしえでん)を下絵にした綴織(つづれおり)になる。三番水引の青海波におしどり図綴織は、駒井源琦(こまいげんき)の下絵による旧品の復元新調品。前懸(まえかけ)・胴懸(どうかけ)は花文様のインド絨毯(じゅうたん)で、見送(みおくり)は昭和五十七年から皆川泰蔵(みながわたいぞう)作のロウ染め「バグダット」を使用、旧胴懸として十六世紀製で拝津島と銘文のある描絵玉取獅子、牡丹、鶴文様の朝鮮毛綴(けつづれ)や、フランス捺染(なせん)胴懸等数多く保存されている。京都市
上は放下鉾の山鉾町に掲示されていた京都市の古い駒札(下の写真)の文を書き写しています。