船鉾(ふねほこ)
くじ取らずで先祭行列の最後を飾ります。
神功皇后の新羅出兵の説話に取材し、鉾全体を船の形にしています。
安産の神にあやかり岩田帯が授与されます。
船鉾の山鉾町
京都市下京区新町通綾小路通下る船鉾町
船鉾(ふねほこ)
神宮皇后(じんぐうこうごう)をめぐる説話によって鉾(ほこ)全体を船の型にし、舳先(へさき)には金色の鷁首(げきす)、艫(とも)には黒漆塗螺鈿(くろうるしぬりらでん)の飛龍文(ひりゅうもん)の舵(かじ)をつけ、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風(からはふ)入母屋造りの屋根からは紅白の長旒(ちょうりゅう)・吹流しをひるがえす。鉾の上には皇后と陪従する磯良(いそら)・住吉(すみよし)・鹿島(かしま)の三神像を安置する。主神神宮皇后は神面(文安年間作一四四四~一四四八)をつけ緋縅(ひおどし)の軍装、その後に鹿島明神、舳先(へさき)には、海神安曇磯良(あずみのいそら)が龍宮の満干珠(みちひるたま)を住吉明神に奉(ささ)げている。皇后の神面は古来安産に奇瑞(きずい)があるといわれ、宮中でも尊敬され、明治天皇の御降誕の時には宮中へ参内(さんだい)している。皇后の神像は岩田帯をたくさん巻いて巡行するが、それを祭の後に妊婦に授与され安産のお守りとされている。鷁首(げきす)は宝暦年間(一七五一~六四)長谷川若狭の作で、船尾の舵は寛政四年(一七九二)造られた。水引の刺繍雲龍(ししゅううんりゅう)図の下絵は西村楠亭(一七七五~一八三四)の筆、鹿島明神の持つ長刀は、井上和泉守国貞(寛文年間一六六一~一六七二)作の逸品である。 京都市
上は船鉾の山鉾町に掲示されていた京都市の古い駒札(下の写真)の文を書き写しています。