黒主山(くろぬしやま)
寛政元年(1789)の銘を持つ御神体は、六歌仙の一人、大伴黒主が桜の花を仰ぎ眺めている姿で、謡曲「志賀」を題材にしています。
黒主山の山鉾町
京都市中京区室町通三条下る烏帽子屋町
黒主山(くろぬしやま)
謡曲「志賀」にちなみ大伴黒主(おおとものくろぬし)が桜の花を仰ぎ眺めている姿をあらわす。
御神躰(人形)は寛政元年(一七八九)作の銘を持つ。山に飾る桜の造花は粽(ちまき)と同様に戸口にさすと悪事が入ってこないといわれている。水引は雲龍文の襦珍(しゅちん)。前掛は伝萬暦帝御服(でんばんれきていぎょふく)(一九八九復元)。胴掛は百花文の綴錦、見送は宝暦十四年(一七六四)記銘の牡丹双鳳凰文綴錦(ぼたんそうほうおうもんつづれにしき)と紅地唐子遊図(べにじからこゆうず)の二種類が隔年交替で用いられる。
人形着用の古衣装には延宝三年(一六七五)在銘の紺地菊唐草文金欄小袖(こんじきくからくさもんきんらんこそで)及び正徳元年(一七一一)在銘の萌葱絽地牡丹文色入金欄大口袴(もえぎろじぼたんもんいろいりきんらんおおぐちはかま)がある。なお旧前掛の波濤飛龍図(はとうひりゅうず)は中国綴織。これは琉球最後の君主尚寧王(しょうねいおう)が、師にあたる京の袋中(たいちゅう)上人に献上した十六世紀の織物で、現在京都国立博物館に保管されている明時代の貴重なものである。また、人形をかざる町家の一階は特に折上げ格天井(おりあげかくてんじょう)につくられ、この人形が御神躰として大切にされている様子がうかがえる。
京 都 市
上は黒主山の山鉾町に掲示されていた京都市の古い駒札(下の写真)の文を書き写しています。