下鴨神社の絵馬
由 緒
(昭和五十八年三月二十九日指定) 賀茂御祖神社(通称 下鴨神社)は、「山城国風土記」逸文に祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)、玉依媛命(たまよりひめのみこと)の神話伝承が、そして「続日本記」に賀茂祭のこと、さらに「社記」には崇神天皇時代の記録などが記されているように、古くからの大社であった。また、玉依媛命の御子神は、賀茂別雷神社(通称 上賀茂神社)に祀られている。境内の糺(ただす)の森は鴨川と高野川の合流する三角州に山背盆地の植生を残す貴重な森林でその美しさは古くから物語や詩歌にうたわれてきた。社殿の造営は、「社記」に天武天皇六年(六七七)のこととされ、長元九年(一〇三六)には、二十一年ごとの式年遷宮が定められた。現在の社殿は、江戸時代の造替で、両本殿が国宝、他の社殿五十三棟は重要文化財である。平安京遷都以降は、皇城鎮護の神、賀茂皇大神宮と称され、全国に六十以上の庄園を持ち、山城国の一の宮、全国賀茂神社一三〇〇社の総本社として広く崇敬されてきた。弘仁元年(八一〇)には、賀茂斎院の制が定められ、皇女を斎王として三十五代約四〇〇年間賀茂社の神事に仕えさせられた。斎院御所は、この糺の森の北西に、常の御所は、紫野大宮に設けられていた。また、桓武天皇が苑暦十三年(七九四)平安遷都祈願の行幸をされて以来、歴代天皇、上皇、関白などの賀茂詣も盛んであった。さらに、毎年五月十五日に賀茂祭(葵祭(あおいまつり))が行なわれ、この祭は、「源氏物語」をはじめ王朝の文学、詩歌にその華やかな行列の様子が描かれ、単に祭と言えばこの葵祭を指すほどの盛儀で、その起元は、欽明天皇五年(五四五)にさかのぼる。また、御蔭祭(みかげまつり)、騎射(流鏑馬(やぶさめ))、蹴鞠(けまり)、歌舞など千数百年伝承されている神事も多い。このたびこのような賀茂御祖神社の歴史的意義を重視し、境内全域を国の史跡に指定して保存することとなった。 昭和六十一年三月吉日 文部省、賀茂御祖神社
上は下鴨神社境内に掲げてある史跡指定の由緒書をそのまま再録しています。
京都観光のメッカ清水寺音羽の滝の写真の頁もご覧ください。
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