説 明
西暦八九四年〜九六六年、平安中期の書家、小野篁の孫。父は大宰大弐をつとめた葛絃(くずお)。醍醐、朱雀、村上三朝に歴任。柳に飛び付く蛙の姿を見て発奮努力して、文筆の極地に達せられ、藤原佐理(すけまさ)、藤原行成(ゆきなり)と共に日本三大文筆、三跡の一人として文筆の神として崇められている。六十六歳の時に天徳詩合の清書をして『能書之絶妙也、義之再生』と賞賛されている。祭神道風の書風はこれ迄の中国の書風を放れ穏やかな整った和様、日本的な書の典型として長く後生迄尊ばれている。
真跡として「屏風土代」「玉泉帖」などがある。
又、祭神は菓子の体型を創造された事により匠守の称号を賜わられ、菓子業の功績者に匠、司の称号を授与する事を勅許されていた事を知る人は少ない。
菓子の匠、司の免許の授与は現在は絶えているが、老舗の屋号に匠、司が使用される事は現在もその名残として受け継がれてきている。
匠、司の称号が祭神からでている事を鑑みても、遠く祖神が饗(しとぎ)をつくられた小野一族からの継承が窺える。
小野神社の祭神が我が国の文化、特に菓道、華道の創生発展に永い歴史の上において、如何に努力されてきたかを知る事ができる。
建物は旧国宝、現在重要文化財。
上は小野道風神社に掲示されている解説パネルの文を書き写しています。
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