男坂を登って正面奥に見える四角屋根の経藏は寛永10年(1633)の大火でも焼亡をまぬがれ、古い形が残されています。知恩院のパンフレットには「唐様と和様を取り入れた、型にはまらない造形美」と書かれています。堂内の中央には5969帖もの宋版一切経が納められた転輪蔵が設置されていて、これを一回転すれば全部の一切経を読誦したのと同じ功徳を積むことができるのだそうです。転輪蔵は八角八柱で極彩色です。建物の内部も極彩色で、狩野山楽の天井や側壁の絵が貴重なものだそうです。(この項は知恩院の売店で購入した知恩院を案内したパンフレット等を元にして書きました。)
別サイトの知恩院の桜の頁もご覧ください。
知恩院経蔵の由緒
経蔵は江戸時代初期の元和七年(一六二一)頃に二代将軍徳川秀忠公により、三門と共に建てられた。
内部は中央に宋版一切経五千九百余帖が収められた輪蔵が据えられる。輪蔵は中心を軸に腰部分に安置された八天部像の指し示す方向に一周させると、中に納められた経典を読誦したのと同等の御利益が得られるとされており、正面には考案者である中国南北朝時代斉の傅大士とその二子の像が奉安されている。
平成六年から十二年まで行われた修理により壁画や天井画の菩薩や飛天、鳳凰、楽器などは建立当初のまま保存し復原された。
知恩院
上の文は知恩院の経蔵の前に掲示されている駒札説明板(この頁の右下の写真)をそのまま再録しています。
重要文化財 経蔵
経藏は江戸初期の元和七年(一六二一)、三門と同時期に徳川秀忠公により建てられた宝形造り、裳階(もこし)付き、本瓦葺、の建物である。三間角の周囲一間通りはもこし付け解放にしている。
内部中央には廻転できる八角形の輪藏があり、一切経五千六百余巻が漆塗りの箱に納められている。腰部分に八夫部像が懸けられている。建物内部は極彩色され、のち文政十年(一八二七)修理されたが剥落が甚しかった。
平成十二年春完了の国庫補助による修理では、復原した絵を新杉板の上に描き、上から取付ける方法で、当初の絵を保存した。
知恩院
上は知恩院の経蔵の前に掲げてあった駒札由緒書(この頁の右最下の写真)をそのまま再録しています。
▲重要文化財の知恩院経蔵
▲知恩院経蔵を春の桜が飾ります。
▲知恩院経蔵の内部には八角の輪転蔵が設置されています。
▲知恩院経蔵の前に掲示されている駒札説明板
知恩院経蔵の前に掲示されていた古い駒札説明板