知恩院 濡髪大明神の由緒
知恩院御廟堂の下にある勢至堂の右を行くと知恩院境内の北東の隅に広がる墓地があります。その墓地の奥にある祠が濡神童子(白キツネ)を祀る濡神大明神で、防火と良縁祈願で信仰を集めています。その前には千姫の巨大な墓碑が立っています。
昔からこの地に棲んでいた白キツネが法然上人を祀る御廟堂の建設の為に住み処を失ってしまいました。江戸初期のある夜、知恩院第32世霊巖上人(れいがんしょうにん)の枕元で、雨に濡れた童子が泣きながら、私はこの地に住む白キツネですが、御影堂が建てられたために棲む所がありませんと訴えました。霊巖上人はあわれに思い、童子が住まいするための寝ぐらを作ってやりました。
童子はそのお礼に知恩院を火災から守ることを上人に誓いました。霊巖上人は白キツネの化身を濡髪童子と名付けて祀ったのが濡髪大明神です。
別の逸話では、白キツネは住処を失ったことを恨みに思い、雨水で髪を濡らした子どもに化けて霊巖上人の前に現れましたが、上人が聞かせた説法に改心し、知恩院を火災から守ることを誓って、その印に傘を置いて帰りました。その傘が知恩院の七不思議の一つの「忘れ傘」で、今の御影堂の軒にあるそうです。
濡髪大明神では毎年秋の11月25日に護摩焚きが行われ、百人を越える多くの人が訪れて参拝します。
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知恩院 千姫の墓の由緒
知恩院勢至堂の奥の墓地に見られる大き霊塔は徳川秀忠(徳川二代将軍)の娘千姫の墓です。千姫はNHKの大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」第37回「千姫の婚礼」にも登場して話題となりました。千姫の墓は全国に数ヶ所ありますが、その一つが知恩院にあり、墓碑には複数の三つ葉葵の紋が彫られています。
千姫の父は徳川秀忠、母は継室の江で慶長2年(1597)4月1日に伏見城内の徳川屋敷で生まれました。慶長8年(1603)に7歳で豊臣秀頼に嫁いで大坂城に入ります。慶長20年(115)に大坂夏の陣で豊臣が敗れると徳川家康の命により大坂城から救出されます。その後の元和2年(1616)に姫路城主本多忠政の嫡男忠刻と再婚しましたが、忠刻が寛永3年(1626)に結核のため死去したので、千姫は江戸城に戻り天樹院と号して、落髪した姿で城内の竹橋御殿に住まいました。千姫は病気の為に寛文6年(1666)に70歳で数奇な生涯を終えました。
▲知恩院境内東北隅の墓地にある千姫の墓と濡髪大明神
▲濡髪大明神には白キツネの化身といわれる濡髪童子がお祀りされています。
▲濡髪大明神は火災除けと良縁成就の神として信仰を集めています。
▲大きな霊塔は徳川二代将軍秀忠の長女・千姫の墓