知恩院の由緒
浄土宗の総本山で、法然上人を開基とする。
この地は法然上人が比叡山から下り、草庵(吉水の草庵という)を結び、初めて浄土の教えを宣布した所である。法然の死後、文歴元年(一二三四)に弟子勢観房源智(せいかんぼうげんち)が廟所(びょうしょ)を整えて華頂山知恩教院大谷寺と号し、自ら当寺第二世となった。
応仁の乱の時には一時兵火を近江に避けたが、のち徳川家康の手厚い帰依を受け、広大な寺地の寄進を受けて寺観を整えた。三門は徳川秀忠が
元和(げんな)七年(一六二一)に建立した宏壮雄麗な大楼(ろう)門で、国宝に指定されている。このほか、本堂(御影堂(みえいどう)・国宝)は寛永十六年(一六三九)、大方丈・小方丈(いずれも重要文化財)は寛永十八年(一六四一)の建築で、本堂と集会堂と大方丈をつなぐ三角間の長廊は、知恩院七不思議の一つに数えられる「鶯(うぐいす)張りの廊下」として有名である。寺宝として阿弥陀二十五菩薩来迎(ぼさつらいごう)図(国宝)ほか多数を蔵する。
京都市
上の文は知恩院に掲示されている京都市の駒札説明板(この頁の右下の写真)を書き移しています。
勢至堂のそばには枝垂桜がきれいに咲きます。知恩院の桜をクリックして桜の写真をご覧ください。