勢至堂の内陣須弥壇には勢至菩薩が安置されています。境内に現存する建物の中では最も古い建物で御影堂ができるまでは本堂として使われていました。
御影堂の東側の石段を上がり御廟と書かれている門をくぐると奥に七間四方の勢至堂があります。春にはこの建物の前に桜が咲きます。享禄三年(1530年)に青蓮院の護摩堂を移築したものと伝えられています。外陣正面に後奈良天皇宸筆の「知恩教院」の額が掲げられており、内陣須弥壇には法然上人の幼名・勢至丸ゆかりの勢至菩薩像が安置されています。お堂の中は撮影できませんので写真をお見せできません。法然上人が入滅された時に、紫雲が水面から立ちのぼり、聖衆が来迎したという紫雲水が勢至堂の傍にあります。紫雲水の後ろの崖の上に法然上人の遺骨が納められている御廟堂があります。
勢至堂のそばには枝垂桜がきれいに咲きます。桜の知恩院をクリックして桜の写真をご覧ください。
知恩院勢至堂の由緒
勢至堂
元祖法然上人終焉の地 大谷浄室の旧址で、本地堂知恩教院とも呼ぶ。七間四面単層入母屋造本瓦葺享禄三年(一五三〇)の再建になり現在の知恩院では最古の建築物で明治三十二年国宝建造物に指定された。
外陣正面に掲げられている勅額「知恩教院」は後奈良皇の宸翰である。
上は勢至堂の前に掲げてある由緒書をそのまま再録しています。