西教寺

 JR湖西線の比叡山坂本駅から滋賀県道316号比叡山線を西に進むと日吉大社の一の鳥居をくぐります。この辺りから道の両側に桜が並び「日吉馬場」と名付けられています。

 日吉大社の前を北(右)に曲がりしばらく進むと西側に坂本城から移築したと伝わる西教寺の総門が建ち、総門から勅使門への直線の参道の両側に桜が咲き並んでいます。

 国の重要文化財に指定されている本堂の向かって左手前に明智光秀一族の墓があり、大勢の人が訪れています。

 明智光秀菩提寺の西教寺は令和2年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で話題を集めています。

西教寺 麒麟がくる 明智光秀墓、桜紅葉をクリックしてください。

西教寺の由緒

▼下の文章は西教寺に掲示されている由緒説明板(下の写真)の文を再録しています。

西教寺

 西教寺は、聖徳太子が、仏法の師である慧慈・慧聰のために開創された寺で、推古天皇の二十六年(六一八)に大窪山の号をたまわり、天智天皇の八年(六六九)に西教寺の号を下賜されたと伝えられている。
 寺記には天台座主慈恵大師良源大僧正・恵心僧都が念佛道場とした。その後、比叡山で修行された真盛上人が文明十八年(一四八六)入寺し、不断念佛の根本道場として、西教寺を再興された。
 明治十一年(一八七八)明治政府によって別派独立が公許、「天台宗真盛派」の本山となった。  昭和十六年(一九四一)に天台三派合同となったが、終戦とともに、昭和二十一年(一九四六)に天台宗三派、延暦寺(山門)三井寺(寺門)西教寺(盛門)が分離、天台宗真盛派を「天台真盛宗」と公称して独立、今日に至っている。
 この寺標石柱は明治十一年(一八七八)に建立されたものである。
▲上は西教寺に掲示されている由緒説明板(下の写真)の文を書き移しています。