嵯峨野に広い境内を構える清凉寺は別名を嵯峨釈迦堂とも呼ばれる浄土宗の歴史ある寺院です。
平安の昔のこの地には源氏物語に登場する光源氏のモデルといわれる源融(みなもとのとおる)の棲霞観(せいかかん)と呼ばれる山荘がありました。源融の没後の寛平8年(896)に寺となり棲霞寺と名付けられました。その後、重明親王(醍醐天皇の皇子)の妃が藤原氏に寄進の為に新しい堂宇を建立し、東大寺の僧の奝然(ちょうねん)が宋より持ち帰った釈迦如来像を弟子の盛算(じょうさん)が本尊として安置し、ここに清凉寺が誕生しました。
その後に何度かの火災に見舞われ、今に見る堂宇のほとんどは江戸時代以降の再建によるものです。国宝の釈迦如来像を安置する本堂は江戸時代の元禄14年(1701)の再建で京都府の指定文化財となっています。阿弥陀堂は文久3年に再建されたものではありますが、嵯峨天皇の第12皇子の源融の山荘棲霞観のおもかげを残す建物です。阿弥陀堂を春には梅、秋には紅葉が門前を飾ります。多宝塔の西側に源融の墓があります。
紅葉の多宝塔は元禄16年に建てられたもので高さが約13メートルあります。
紅葉が美しい清凉寺の秋ですが、春3月には梅、4月には桜が実に見事です。春の桜は清凉寺の桜をクリックすると美しい写真をご覧いただけます。
▲清凉寺(嵯峨釈迦堂)の境内の西南に建つ聖徳太子殿と紅葉
▲清凉寺(嵯峨釈迦堂)の多宝塔を紅葉が飾ります。
▲源融ゆかりの阿弥陀堂と紅葉