霊光殿天満宮
(れいこうでんてんまんぐう)
ご祭神に菅原道真公と徳川家康公を合祀する珍しい天満宮です。平安中期の寛仁2年(1018年)に創建されたと伝わる歴史ある神社です。
菅原義郷(道真公の6世孫)が河内国若江郷(現在の大阪府東大阪市)に天皇の命で神殿を建立したのがこの天満宮の始まりです。
平安京には道真公が九州太宰府に左遷された時に一条の光が天から下りたと伝わる地点がり、この場所に河内から遷座されたこの天満宮が霊光殿と呼称されるようになりました。
霊光殿天満宮の鳥居には「天下無敵必勝利運」と書かれた扁額が掲げられています。これは後宇多天皇より下賜された御宸筆を書き写したものです。二度目の元寇の弘安の役(1281年)の際に後宇多天皇の勅命によって敵国降伏の祈祷を行い、功が奏して敵の船がことごとく海に没しました。この時にいただいた御宸筆が「天下無敵必勝利運」です。
応仁の乱や火災、社家の衰退等に遭遇しましたが、霊光殿天満宮が現在地に落ち着いたのは宝暦11年(1761年)とのことです。
元亀元年(1570年)には徳川家康が天下太平を霊光殿天満宮に祈願しました。この天満宮を深く崇敬した徳川家康を祭神として合祀したのは寛永13年(1636年)と伝えられます。
霊光殿天満宮の参拝 参拝境内自由
霊光殿天満宮の鎮座地
京都市上京区新町通今出川下る徳大寺殿町365
霊光殿天満宮への電車とバス
●地下鉄烏丸線「今出川」下車、徒歩約5分
●市バス「上京区総合庁舎前」下車、徒歩数分
霊光殿天満宮の由緒
霊光殿天満宮ト申シ奉ル
後一條院天皇ノ御宇天神六世ノ神孫贈從一位菅原義郷天皇ノ勅ヲ奉シ天神ノ御領地河内若江郡ニ神殿御建造アラセ給ヒテ御崇敬アリ尓来神威益々盛ナルニ至り御神告ニヨリ今ノ京ニ遷シ奉リ後宇多天皇ノ御宇蒙古ノ賊襲来ス 天皇則チ当社ニ於夷賊退治ノ祭事アリ神威嚇然トシテ忽賊船悉ク亡滅ス叡感アラセ給天下無敵必勝利運ノ御震翰ノ御額ヲ御進納アリ今尚宝存ス然カノミナラズ御寄附ノ神領若干アリ歴朝ノ御崇敬ハ至レリ應仁ノ大乱ニ御殿并ニ御神領荒敗ス徳川家康公当社ニ参拝アリ天下太平ノ祈願アリ又寄附ノモノアリ其後屡々火災アリテ朝廷ヨリ内侍所御進納アリ今尚御仮殿タルハ実ニ恐粛ニ堪ヘズ有志ノ甘心セザラン哉神徳之廣大ナルハ他社ノ比ニ非ズ
其ノ詳別由来記ニ有
上は社頭に掲示されている由緒書(下の写真)の文を再録しています。
梅の名所の
北野天満宮の写真もご覧ください。