桜宮神社
(さくらのみやじんじゃ)

 西陣の古い家並みが続く出水通の南側に桜宮神社はあります。

  桜宮神社の創建の歴史は古く、醍醐天皇の御代と伝えられています。

 4月初めには境内の桜の木が咲き揃い、子供神輿がにぎやかに担がれる桜祭りも行われます。

 現在の京都御苑は烏丸通の東にありますが、平安遷都にはこの辺りに平安宮が作られ、桜宮神社のすぐ西側の千本通が朱雀大路と呼ばれ、都を南北に貫く中心の道でした。

桜宮神社の鎮座地
 京都市上京区出水通千本東入る西神明町
桜宮神社の参拝 境内参拝自由
桜宮神社へのバス
 千本通を走る市バス「千本出水」下車
(出水(でみず)通を東へ徒歩すぐ南側)

桜宮神社の由緒

桜宮神社縁起(由来起)

祭神
本社
 天照皇大神 金刀比羅宮 春日大神 八幡大神 稲荷大神 愛宕大神 御嶽大神
摂社 宗像三姫大神(大弁財天)
今は去る醍醐天皇の御代(一〇九四年前)延喜十年五月六日北野右近の馬場桜の大樹に紫雲異香薫り、日輪降臨あり、霊宮を造りて天照皇大神を祝祭し、桜宮日降の神明と号せしを始めとす。
その後洛陽朱雀の北、近衛の小路(現在地)に遷座され、当初は桜宮日降神明と称され、又桜葉明神、桜宮とも称せられし宮なり。
御白河天皇の御代(八四六年前)桜町中納言成範熱心に参詣し、悟りを得て歌を一首献上す。其の後足利将軍尊氏の長男、義詮(六五四年前)嗣子の無きを憂いて当社に祈り男子を授る。鹿苑院義満公なり。義満、故に丁重に詣で、天下一統泰平を祈願せり。
御奈良院の御代(四七〇年前)織田信長の生れし頃、痘疹疫病流行し、当社に祈りて病患を除かれし者多けり。
元禄七年(三一〇年前)但馬の国の住人、荒木氏の妻、十有余年の難病にて苦しみ、此の社霊感あるを聞き、真心込めて祈願せし処、たちどころに感応利益あり、本復を得て拝殿を造営せり。
元禄十六年十一月十六日、時の関白太政大臣兼熈(ヒロ)当社に参詣の折、当社の縁起を記し一巻を奉納せり、今、社宝として納められるは、その一巻なり。又神明町の町名も当社よりの命名なり。
謡曲右近に詳しく当社の由来を描かれ、山州名跡志にも「同所総門外通南北所是也」とあり、京都北野神社総門の外、南北に通ぜし通に桜葉明神社として祭られ、中昔此の地に移る。
祭神は当初、天照皇大神を祀り、後世諸氏の信仰にて金刀比羅宮、春日大神、八幡大神、稲荷大神、愛宕大神、御嶽大神を合祀し、別社として大弁財天(宗像三姫大神)を境内に祀り、今の桜宮神社となれり。
 平成十七年三月
        桜宮奉賛会 謹書
上の文は桜宮神社に掲示されている駒札説明板(下の写真)を再録しています。

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平安神宮は別サイトの平安神宮をご覧ください。