蚕の社(かいこのやしろ)
木嶋坐天照御魂神社
蚕の社と呼ばれていますが、木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)が正式名です。
木嶋坐天照御魂神社の歴史は飛鳥時代まで遡り、京都で最も古い神社の一つに数えられています。創建は推古天皇の頃ではないかと推測され、平安遷都以前から大陸から渡来してこの辺りに居を構えていた秦氏にゆかりのある神社です。
秦氏が養蚕と織物の神を祀った摂社の養蚕(こかい)神社が木嶋神社の本殿東側にあることから「蚕の社」の名で親しまれるようになりました。
境内の奥に京都三珍鳥居の一つの三本足の三柱鳥居があります。
蚕の社の所在地
京都市右京区太秦森ケ東町50-1
蚕の社の参拝 境内参拝自由
蚕の社への電車とバス
京福電鉄嵐山線(嵐電)「蚕の社」下車、すぐ
地下鉄「太秦天神川」下車、徒歩約5分
JR嵯峨野線「花園」下車、徒歩約7分
市バス「蚕の社」下車、すぐ
京都バス「蚕の社」下車、すぐ
木嶋坐天照御魂神社の由緒
木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)
このしまにますあまてるみたま
(かいこのやしろ)
この神社は、通称「木嶋神社」又は「蚕の社」と呼ばれる延喜式内社で、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)・大国魂(おおくにたま)神・穂々出見(ほほでみ)命・鵜茅葺不合(うがやふきおえず)命を祀っている。
『続日本記(しょくにほんぎ)』大宝元年(701)4月3日の条に、神社名が記載されていることから、それ以前に祭祀されていたことがわかる古社である。
この嵯峨野一帯は、古墳時代に朝鮮半島から渡来し、製陶・養蚕・機織などにはすぐれた技術をもっていた秦氏の勢力範囲で、当神社本殿の東側には織物の祖神を祀る蚕養(こかい)神社(東本殿)があり「蚕の社」もそれにちなんだ社名である。
この神社は、古くより祈雨(きう)の神として信仰が厚く、参詣の人も多かったことが平安時代に書かれた『日本三代実録』や『梁塵秘抄(りょうじひしょう)』などの文献からうかがい知ることができる。
社殿は明治以後のもので、本殿・東本殿・拝殿などがあり、社殿を取囲むように巨樹が繁茂している。本殿の西側には四季湧水する「元糺(もとただす)の池」という神池があり、天保2年(1831)に再興された京都三鳥居の一つとされる石製三柱鳥居が建つ。
例祭は、毎年10月10日が行われるが、夏期土用の丑の日には、この池に手足を浸すと諸病によいという庶民信仰がある。
市内でも最古に属する当神社は、境内から清泉が湧き、巨樹が繁茂して古来の姿をよくとどめており、京都発展に大きな役割を果してきた秦氏との関連を含め、大へん貴重なものとして昭和60年6月1日に京都市の史跡に指定された。
指定面積11.131㎡
京 都 市
上の文は木嶋神社に掲示されている京都市の由緒説明パネル(下の写真)を再録しています。
三珍鳥居の京都御苑の厳島神社(京都御苑内)の写真もご覧ください。