出世稲荷神社
(現在はありません。)

 千本通の東側に西に向いて建っていて人々に親しまれていた出世稲荷神社でしたが、大原へ移転した為に現在はありません。

 豊臣秀吉が創建した神社で、秀吉の出世にちなんで「出世稲荷(しゅっせいなり)」と呼ばれて親しまれていました。

 本殿北側の境内末社で福禄寿をお祀りする「三石社(さんせきしゃ)」は3個の石を御神体として、勝負運の神とされていました。

出世稲荷神社の御祭神
 
宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)(稲荷神)
出世稲荷神社の移転前の所在地
 
京都市上京区千本通旧二条下ル聚楽町
出世稲荷神社の旧社殿への公共交通機関
  (現在はこの場所にはありません)

 千本通を走る市バス、京都バス
  「出世稲荷前」下車、すぐ
 JR嵯峨野線(山陰本線)「二条」駅下車、
  千本通を北へ徒歩約5分
 市営地下鉄東西線「二条」下車、
  1番出口より地上へ、千本通を北へ約5分

出世稲荷神社の由緒

出世稲荷神社

足軽から関白太政大臣へと世にも稀な立身出世を成し遂げられた豊臣秀吉公は幼少の頃から稲荷五柱の信仰が篤く、天正十七年(一五八七)に聚楽第を造営する際、天下統一の成就は稲荷信仰のおかげと感謝して邸内に稲荷社を勧請されました。これが当出世稲荷神社の始まりです。翌年、聚楽第行楽の折に稲荷社に参拝された後、陽成天皇より「出世」の称号を賜り、諸大名が開運出世祈願する社として大いに栄えました。
 寛文三年(一六六三)にこの地に移されてからは秀吉公の出世にあやかって出世開運を願う人々がいつも絶えず、江戸時代後期には鳥居の数も三百二十九本に達したと伝えられています。
境内には秀吉公と北の政所をお祀りした豊の社があります。
 出世稲荷には「開運出世の福」
「衣食住の福」「地位名望の福」
「農工商その他一切の生業に大繁栄の福」等の十種の紳徳があるとされています。
 境内の水天宮には水難、火難、病難、盗難除けのご利益があるとされ、寿石、福石、緑石の三つの石を御神体にした三石大神はかって「勝石、取り石、打出し石」などと呼んで大変信仰した勝負運の神様です。
上は出世稲荷神社の前に掲げられていた由緒書(下の写真)をそのまま再録しています。

稲荷社の総本宮の伏見稲荷大社の頁もご覧ください。