六孫王神社
(ろくそんのうじんじゃ)
壬生通の一の鳥居から西へ進み、神龍池を石造の太鼓橋で渡ると左右に回廊を従えた唐門があり、ここより本殿に向かって参詣します。
本殿には六孫王大神源経基(みなもとのつねもと)が主祭神としてお祀りされています。
源経基は清和源氏(せいわげんじ)の祖と仰がれ、清和源氏は清和天皇を祖とする皇胤が源姓を賜り成立した一族で、経基王は清和天皇(第56代天皇)の第六皇子貞純親王の御子で天皇の孫にあたるので六孫王と呼ばれています。
境内の春は桜が咲き競います。夏に向かって神龍池も花で飾られます。
神龍池の北側には源経基の子の源満仲が産湯を使ったといわれる井戸の上に「誕生水弁財天」が祀られており、幼いお子様の守護神として崇められています。
六孫王神社の参拝 参拝境内自由
六孫王神社の御祭神
源朝臣経基、天照大神、八幡大神
六孫王神社の鎮座地
京都市南区壬生通八条上る八条町
六孫王神社への公共交通機関
市バス「六孫王神社前」下車、徒歩すぐ
(京都駅八条口より16系統乗車)
六孫王神社への歩き方
JR、市営地下鉄、近鉄「京都」駅八条口より西へ徒歩約15分
六孫王神社の由緒
六孫王神社
《御祭神》
子孫繁栄・家運隆昌の守護神
六孫王大神(ろくそんのおうおおかみ)
(源朝臣経基(みなもとのあそんつねもと))
天照皇大御神(あまてらすのおおみかみ)
(伊勢神宮御祭神)
八幡大神(はちまんおおかみ)
《六孫王のいわれ》
主祭神の経基王は、清和天皇(第五十六代)の第六皇子貞純親王の御子で天皇の孫にあたるゆえ、六孫王といわれる。
《王の御事蹟》
王は生まれつき気質温厚で好文博学にして、よく武道にも励み、承平・天慶年間の乱には鎮守府将軍として任地に赴き乱を平定、その功により天皇より源性を賜り源朝臣を名乗ることとなり、やがて武門の棟梁として名を天下に知られることとなったのである。また、王は和歌にも長じ『拾遺和歌集』にもその歌詞が採用されている。
《創建は平安時代》
経基王は六十四歳(諸異説あり)を以て薨去されたが、遺言に『亡き後も霊魂は龍(神)と化し 此の西八条亭の池(境内中央の神龍池のこと)に住みて子孫の繁栄を祈らん』と申されたとある。王薨去後、御子の満仲公が応和三年(九六三)九月に王の邸宅であった此の地に葬り、その前に社殿を建立したのが当六孫王神社の始まりである。
上は六孫王神社境内に掲示されている由緒書の右半分(下の写真)を再録しています。
別サイトの六孫王神社の写真の頁もご覧ください。